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Sound Art Listening Guide 2/フィールドレコーディング

チャーミングで豊潤な音の世界

フィールドレコーディングとは読んで字のごとく、スタジオやホールなどでの録音環境以外の場所での録音を指すのですが、近年では小型のハンディーレコーダーを1万円くらいで購入できるようになり、レコーダー片手に山や海、街などに音を集めにお出かけされる方も少しずつ増えてきました。
二回目の今回はフィールドレコーディング自体に纏わる事柄をざっくばらんにお話できればと思うのですが、まず大前提として、実際にその場所で自分の耳で音を聴くという事と、マイクを使いヘッドフォンを通して音を聴くという事、それから録音されたものを再生して聴くという事の間にはそれぞれ断絶があります。

フィールドレコーディングで録音した素材を使った作品は、作家によってその扱い方や作品を制作する姿勢があまりに多種多様です。

よく言う話ですが、例えばうるさい電車内で友人と会話をする時、実際の音量としては電車の走行音の方が、話し声より遥かに大きいはずなのですが私たちの耳は無意識に相手の話声にピントを合わせ、声を聴き取る事が出来ます。

この動的なピントを合わせる能力は、マイクでは考えられない驚異的な性能です。

マイクは無指向性、指向性の違いはあるにせよ、基本的には大きい音は大きく、小さい音は小さくといった具合に現実の事象に対し良くも悪くもとても忠実だからです。

フィールドレコーディング作品が持つ根本的な面白さは、指向性、つまり傾きのある人の耳で実際に聴く音と、無差別に、或いは正直に音を拾うマイクという装置が集音した音との差、又は、レコーダーなどハードウェアによる制約による、現実を転写する時に不可避に発生するエラー(ハードの選択がそもそもエラーの始まりとも言えます)、これに尽きると思います。

この現実世界から転写された音をどう扱うか、これによって作家の態度がある程度決定されると言えるでしょう。
もちろん、一人の作家の作品でもそれは絶えず揺れ動きます。

アーカイブとしてのフィールドレコーディング、希少動物の鳴き声を収録したものや、都市部での日常生活において滅多に聴く事ができない環境の音例えば砂漠の真夜中の音や北極圏の海の中の音など)はそれ自体に価値があり、多くの場合かコンポジションやプロセシング(コンピュータによる音響操作)は行いません。

ですが、アーカイブ的なフィールドレコーディング作品であっても、録音対象の選択やマイクの立て方など、人のやる事ですから必ず作家それぞれの癖がありそれが作家性となり、音響作品の世界をチャーミングで豊潤なものにしています。

誰しも経験があると思いますが、自分で自分の声を聞く音と、一度マイクを通した時の音との差や違和感が、拡大解釈をすると音と音との距離感や 質感、バランスなどにおいて全ての音に適応され、「普段意識した事なかったけど、この音ってこういう音だったんだ」と発見や感動をもたらす訳です。

マイクロスコピックも基本的には同種の感動のあり方です。

先日アメンボやゲンゴロウなど、水生昆虫の発する音を水中マイクでひたすら拾っている作品に出会いましたが、人の耳ではまず聞こえない小さな音の世界に、こんなに豊かな響きがあったのかと驚かずにはいられませんでした。

さて、そこから更にフィールドレコーディングを語る上で外せない要素が、音の記号性を捨て去るという側面です。

フィールドレコーディング作品を聴いていると、それが一体何の音なのか分からない事がよくあります。
私たちは普段、車の走行音が聞こえてきたら、車だと分かり、更に近づいているから危ないなどと一瞬の内に連想しています。
つまり「ブオーッ」という音そのものではなく、車の走行音という意味・記号に重きを置いて、私たちは音を理解しようとします。
これは事象を言葉で表現しようとする言葉の作用によるところがとても大きいです。

言葉による音のトレース、理解と表現。これは音のある一側面を伝える為には有効ですが、とても全てを表せません。
フィールドレコーディングは具体音を扱いながらも、扱うが故に、他のどの音楽よりもその問題に敏感な音楽です。

フィールドレコーディング作品はブックレットに詳細でも書いていない限り音の出自を自分で付与する事が出来ない。

ここが決定的なのです。

記号性を剥ぎ取られた音は、本来の響きのまま、自由にダンスを踊ります。

作家によっては、偶然や、スポーツカメラマンのように音の配置によって奇跡的に音楽的に聞こえる瞬間だけをリリースしている作家や、プロセシングでもってまるで彫刻のように、音の出自ではなく音が本来持っている面白みを更に研磨、抽出しようとする作家もいます。

私はよくフレームワークを考えます。
どんな音楽にも必ず始まりがあって終わりがあります。
それはフィールドレコーディングも同じです。
録音ボタンを押した時が転写の始まりですし、もう一度押す事で枠が決まります。

ひとたび耳を私たちを取り巻く環境に移せば、この世界は絶えず音が溢れています。
この世界の音はどこで終わるのでしょう?
枠を定める事で音は作品となり、そこで意味が剥ぎ取られやすい状態となる。

暫定的なその枠を更新し続けるのがフィールドレコーディングだと言えるでしょうし
ならば私たちは音楽を楽しむ耳を更新し続けなければならないでしょう。

文:Yuki Aida/相田悠希

(参考音源)

Chris Watson / Weather Report

Heike Vester / Marine Mammals and Fish of Lofoten and Vesterålen
http://open.spotify.com/album/2j3IG88WiZjoqUcUAUwDXG010

FRANCSICO LÓPEZ / UNTITLED

LUC FERRARI / Les Anecdotiques

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Yuki Aida

音楽レーベルmurmur recrdsを主宰しているサウンドアーティスト。
アンビエントとダンスミュージックを自在に行き来するその特異なスタイルで
国内外のアーティストや評論家からも高い評価を得る。
これまでにCF、心理療法、映画への楽曲提供と様々な作品を制作。
2010年には元guniw toolsの
ギタリストJakeと共作シングルを発表。

「このまま行ってよし!僕の好きな感じのドローンです(坂本龍一)」